先日紹介しました文学碑の残るお三方です。
こちらも超有名な方たちですよ。
伊豆には、なぜこんなに文学関係で有名な方が来たんでしょうか?
たぶん、伊豆の温泉目当てでしょうね。静かな温泉につかりながら、静養して新たな気持ちで創作・行動したんですよ、きっと。
1.尾崎紅葉の句碑
尾崎紅葉は熱海でおなじみの「金色夜叉」(これは「新井旅館」で書かれたそうですよ。!)等が高い評判を受けていますが、意外や(私が知らないだけなのかな)正岡子規と並ぶ俳人でもあるそうです。
梅林内にある句碑には「いかさまに霞むやと岡に渉りけり」と刻まれています。この句碑は昭和16年に造られました。
青空文庫により、全文インターネットに掲載中。
『金色夜叉』
http://www.aozora.gr.jp/cards/000091/files/522_19603.html
2.中村吉右衛門の句碑
梅林内にある句碑には「鶯の鳴くがままなるわらび狩」とかかれている。
修善寺との関係は、太平洋戦争中に修善寺の「新井旅館」に疎開したことがあるそうです。
三代目中村歌六の長男であり、明治30年吉右衛門として初舞台を踏み活躍します。上方風の芸風に9代目市川団十郎系の近代的な演技をくわえた独自の雰囲気を持ち、熱演型でどんな役でも懸命に演じたそうです。歌舞伎俳優であるが秀山と号して俳句をたしなみ、小唄も楽しむ風流人だったらしいです。高浜虚子と交遊し弟子となり、「ホトトギス」同人として俳句をたしなみ、有名だったそうですよ。
中村吉右衛門は、屋号は播磨屋。定紋は揚羽蝶、村山片喰です。歌舞伎に詳しい方ならよくご存知でしょうね。
3.二代目市川左団次の句碑
句碑には「天下一なり湯場の秋」とあります。
初代左団次の長男。立派な体格と明快な口跡で舞台を圧倒し、登場人物になりきった演技は、誰も真似できなかったくらいの独自の風格を示した。
屋号は高島屋。定紋は三升に左、松皮菱に鬼鳶。
「修禅寺物語」の夜叉王を当たり役とした。憩いを求めてよく新井旅館に来訪した。
記事を書きながら思ったのは、そうなんです。紹介した6人の方たちは、みんな修善寺の「新井旅館」に泊まったり、主人との交遊があったりということです。この「新井旅館」は明治5年に開業したそうですから、当然明治の文学界や梨園から訪れてきたんですが・・・。訪れた人の名前と、誰がどこを使ったのかという一覧がありますが、そうそうたるメンバーです。たぶん、この旅館がお気に入りの誰かの紹介やらで皆さんこぞっていらしたんでしょう。ぜひ、下記のホームページにて誰が来ているかを確認してみてください。ホントにすごいですよ。
参考
新井旅館のホームページ
http://arairyokan.net/
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